海沿いを散歩し、昼過ぎに八戸を発って自分の実家へ。帰りの八戸駅は大雪で、走り出す新幹線の窓を打つ雪をじっと眺めていた。ああ、今日は大晦日なのだった。ただの一日だけど、節目の一日。仙台を過ぎ、郡山までずっと雪は降ったり止んだりしていた。雪に覆われた畑や山、そこにさらに降り積もり続ける雪を横目に見ながら、いろんなことをすこしずつ思い出にしていく作業をはじめようとか、そんなことを考える。自分への過剰な期待とか、素敵な出来事とか、終わらせないまま保留にしていた数々のことを思い出フォルダに仕分けして収納していこう。
今年は怪我とか彼の転職とか、結婚の話など割りと大きなことが幾つかあった。ごちゃごちゃしていて忙しくて、でも相変わらずいろんな人と出会って仲良くなった。昔からの友達とも今年になってぎゅっと距離が縮まったり、うれしかったなぁ。お金もなくて、相変わらずしごとはつまんないしキャリアもないのに、過去の自分が想像していた27歳の理想の暮らしよりも今の自分の暮らしのほうがずぅっと幸せのような気がする。夢なんて全然叶ってないし、明日の見えない暮らしなのに、毎日笑顔で過ごして泣いたり怒ったりしない。何をするのもおもしろくて楽しい。わたしはけっこうおとなになったのだ。自分の感情に振り回されてひとり相撲する時期(恋愛ポエムをノートに書いてみて、自分で読んで号泣)はもう終わったし、人生への過度な期待(オリコン3週連続第1位ゲット)も持ち合わせてはいない。それが青春の終わりというのなら、そうなのかもしれないけど。
それでも今はただ、この毎日のいとしい感じが、続けばいいと思う。そんなことを考えながら思い浮かんだのは老子の「理想の生き方とは水のようなものだ」という言葉で、まだそんな生き方には程遠いけど、今のこの感じはずっと忘れないでいたい。
「上善如水、水善利万物而不争、居衆人之所悪。」
上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に居る。

2009.12.31

(@宮古島 2009)

なんだかいつも楽しくて笑ってて素敵な1年だった。もちろん嫌なことは当たり前にあって、腹が立つことも落ち込むことも、なんだかどうしようもなさに襲われて立っていられないくらい不安になることも、自分のしょっぱさが恥ずかしくて痛くて死にたくなることも2日おきくらいにはあったけれども、それを差し引いても余りあるたのしさだった。

だって毎日や仕事や将来の問題は当然誰もが抱えてて、でもその中で、目が覚めるような景色や繋いだ手の暖かさや、音楽と身体がひとつになる瞬間や、そういう全ての「自分が持ってかれちゃうような瞬間」をいとおしんで、ただ時間が流れるのが切なくてどうしようもなくてこのままずっとずっと1ミリも変わらずにいられたらいいのに、どこにも行かないでずっとこのままいたいのに、ってやっぱり思ってた。瞬間と永遠。
2008.12.31